かつてキリスト教の禁教前には、口之津に巡察師ヴァリニャーノが上陸し、キリシタン大名となった有馬晴信の領地に教会やセミナリヨ(小神学校)が置かれ、西洋文化が華開いていました。しかし、江戸時代、棄教を迫るキリシタンへの拷問は雲仙地獄をはじめ、各地で凄惨を極め、島原・天草では、領主の苛政や弾圧に苦しむ農民たちによる一揆が勃発し、1637年、一揆勢は天草四郎を総大将に原城にたてこもりましたが、老幼男女の別なく幕府軍に滅ぼされました。島原・天草一揆の後、1641年に鎖国が完成し、その3年後日本国内に宣教師がいなくなり、キリシタンたちは自力で密かに信仰をつないでいきました。開国後に来日したパリ外国宣教会のプティジャン神父と潜伏キリシタンが出会った「信徒発見」(1865年)の舞台は、大浦天主堂です。
このエリアは、「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」をテーマに、雲仙市、南島原市、熊本県の天草市と苓北町、長崎市を歩く8つの巡礼路から成ります。千々石から小浜温泉、雲仙温泉、世界遺産の構成遺産「原城跡」と「天草の﨑津集落」を巡り、雲仙天草国立公園の豊かな自然景観も楽しみながら、世界遺産の「大浦天主堂」をめざすルートです。