Vol.435
2022年12月4日 公開
子どもの頃、父が看板屋を営んでいたので、12月になると正月用の立て看板の注文が次々と入るようになり、中旬頃には猫の手も借りたいほどの忙しさになりました。
正月用の立て看板は専用の木枠をつくってキャラコという綿布を張り、そこに「謹賀新年」や「頌春」などの正月らしい文言や挨拶文を書き、初日の出や松竹梅といっためでたい絵を描いていくのですが、当時はすべてが手作業だったので大変だったようです。
日本で看板らしきものが登場したのは奈良時代だといわれています。商いをしていた店のしるしとして牒(ちょう)という文書を書いた薄い木札が使われていたそうです。
そして鎌倉時代末期には竹や木の札に文字を記した簡板(かんばん)が登場。そして「看(み)せるための板(いた)」、つまり「看板」という名前が定着したのは江戸時代頃だといわれています。
この頃には漆(うるし)、金字、浮世絵などをあしらったものが並び、明治時代にはケヤキや杉板に金箔、蒔絵などをほどこした豪華な看板が目をひくようになったようです。
一方で、法令などを板面に墨で記して掲示する高札のような手法は明治時代まで受け継がれ、その内容はキリスト教禁教令のほか親孝行の奨励、博奕の禁止、鉄砲、徒党の禁止、新田開発の奨励など多岐にわたっていました。
素材、形、表現方法も多種多様な現在の看板。だからこそ板面に文字を書いた高札のようなシンプルなものがかえって目をひく、そんなこともあるのかもしれません。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)