Vol.65
2015年9月28日 公開
「あそこでは絶対に遊んじゃだめだぞ」。小学生の頃、父にそう言われていた場所がありました。友だちから行こうと誘われてもただ首を横に振るだけ。そこは坂本小学校の近くにある経の峰共同墓地でした。
昨年、その墓地を訪れる機会がありました。斜面を利用した広大な敷地には十字架をあしらった墓石が建ち並び、それらを囲む石塀が折り重なるように坂の上まで続いていました。
禁教時代、浦上村のキリシタンは寺の檀家となり仏教徒を装って暮らしていました。しかし1790年、石仏をつくるための寄付を村人たちが拒否したことから浦上一番崩れが勃発。墓石に関する厳しい取り調べが行われ、キリシタンと疑われる墓石はすべて破壊されたそうです。
経の峰共同墓地には、奇跡的に取り調べをまぬがれた伏碑が残っています。地面に置かれた伏石は、仏式の石塔とは異なるため、すぐに墓石とはわかりませんでした。
子どもたちが夢中で遊んでいたら、墓だとわからずに飛び乗ったりするかもしれない。だから父は「遊ぶな」と言ったのだ・・・伏碑を見てそう思いました。
先日、山里中学校の裏山にある赤城墓地に行きました。ここも浦上一番崩れのときに取り調べを受けた墓地。階段状に建つ多くの墓石や石塀、その間を通る迷路のような道・・・、外で遊ぶしかなかった当時の子どもたちにとって、そこは格好の遊び場だったに違いありません。
6年間通った坂本小学校、転校して2年間を過ごした山里中学校。二つの母校のそばにある墓地から見るまちなみはもうずいぶん変わってしまったけれど、なぜかそこに立つとこれまで思い出せなかったことが少しずつ心に浮かんでくるのでした。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)