Vol.457
2023年5月22日 公開
さて先週は、沖縄が琉球王国だった時代の石垣島に一隻のスペイン船が漂着し、その土地の最高職だった石垣永将(いしがきえいしょう)が乗組員を保護し、そのなかに宣教師がいたというくだりまでお話ししました。
当時は、琉球国内でも王府の許可なしに他国と貿易を行うことは許されていなかったことから、漂流した外国船などを見つけた場合は王府に報告し、乗組員を送り返さなければなりませんでした。
しかし、石垣永将は王府の命に逆らって乗組員たちを島内に招き入れて滞在を許可。手厚く世話をしたそうです。
一説よると、永将はこのときキリスト教の洗礼を受けたともいわれており、そのことから取り調べを受け、有罪を言い渡され、島流しの刑に処せられたのです。
琉球王府の記録によると、漂着した南蛮船に牛数十頭を与え、乗組員たちを自宅に数日間泊めたことから、死罪および家財没収、子孫は流罪となり、永将は渡名喜島で火刑に処せられました。
永将がキリシタンであったのかどうかはわかりませんが、この事件後、琉球でも本格的に禁教策がとられ、宗門改めの制度が導入されたそうです。
この事件は「八重山キリシタン事件」といわれ、幕府、薩摩による琉球支配を強固にする象徴的な出来事でした。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)