Vol.407
2022年5月23日 公開
5月23日に起きた歴史上の出来事といえば、16世紀半ばにコペルニクスが地動説を発表したことなどがあげられますが、ちょっと気になったのがこの記述でした。
1430年、ジャンヌ・ダルクがコンピエーヌの戦いで捕えられる。
ジャンヌ・ダルクといえば、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」という絵画を思い浮かべる人も多いと思います。
調べてみると、この絵は1830年7月にパリで起きた人民の蜂起、いわゆる7月革命をテーマにした作品で、フランス国旗を掲げて先導する女性は「自由」の象徴として描かれたものだとのこと。
学生時代に教科書でこの絵を見て以来、先導する女性がジャンヌ・ダルクだと思っていたのでこれには正直驚きました。
ジャンヌ・ダルクは、1412年頃にフランス東部に生まれ、神の啓示を受けてフランス軍に従事し、イングランドとの重要な戦いで勝利してフランス王シャルル7世の戴冠に貢献したと伝えられています。
しかし、その後は捕虜となり、最終的には異端の判決を受けて19歳で火刑に処せられました。
このように軍隊を率いて戦い、若くして命を落とした歴史上の人物としてもう一人思い浮かぶのが天草四郎です。
彼はキリシタン大名 小西行長の家臣である益田甚兵衛の子として生まれました。幾多の奇跡を起こしたというそのカリスマ性から救世主として崇められ、1637年に勃発した「島原・天草一揆」では一揆軍の総大将となって幕府軍に戦いを挑みました。
しかし、幕府軍の総攻撃によって一揆軍は全滅し、天草四郎も立てこもった原城で若くして命を落とすことになるのです。このとき彼は17歳だったといわれています。
ジャンヌ・ダルクと天草四郎。
新芽の緑がまぶしいこの季節、あらためて二人の短い人生にふれるとき、その生き様がさらに輝きを増して胸に迫ってきそうです。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)