おらしょ こころ旅

Vol.385

12月の戦い

2021年12月13日 公開

1614年、江戸幕府が全国にキリスト教禁教令を出して以降、長崎、大村、雲仙をはじめとした各地で厳しい弾圧が行われ、数多くのキリシタンが殉教しました。

1636年夏頃から飢きんや重税などで苦しんでいた島原、天草の領民たちは、妊婦を拷問死させたことや、聖画像を踏みにじられたことなどをきっかけに島原半島各地の代官たちを襲撃。12月には天草四郎を総大将に森岳城(島原城)に攻め入りました。

しかし落城できなかった領民たちは、すでに廃城となっていた原城に立て籠もって攻撃。一方、幕府軍は西日本の諸藩を集めて原城を包囲し、兵糧攻めで立ち向かったのでした。

約4ヵ月にも及ぶ攻防の末に一揆軍は陥落し、女性や子どもを含めたほぼ全員が死亡。約12万人の兵力を動員した幕府軍は一揆軍の激しい反撃により8千人以上の死傷者を出しました。

その後、家ごとに信仰する宗派などを調べて領主に報告させる宗門改(しゅうもんあらため)を導入するなど、キリシタンへの取り締まりはさらに厳しさを増していきました。

一揆軍が森岳城(島原城)に攻め入ったのは、今から約380年前の12月12日のこと。

海から吹き上げる冷たい風のなか、人々は空腹にたえながら信仰を勝ち取るために戦い続けたのでしょう。

南島原市の有馬キリシタン遺産記念館には、原城跡の発掘調査で出土した十字架やメダイなどが展示されており、それらの遺物が往時の人々の想いを物語っています。

 

(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)

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