Vol.379
2021年11月1日 公開
100円玉や500円玉を投入口に入れてハンドルを回すと、景品が入ったカプセルが出てくる自動販売機、通称「ガチャ」。
カプセルの中身を選ぶことはできず、何が入っているかは取り出すまでわからないというゲーム感覚が人気のようです。
最近、このガチャにたとえた「親ガチャ」という言葉が世の中を賑わせているようです。
子どもの立場から親は選べない、どういう境遇に生まれるかは運まかせ、ということからこういわれるようになったとのこと。
これには、様々な媒体から発信される情報が多いため、若者が格差を感じやすくなっているのではないかと分析する人もいます。
しかし、人生はもともとガチャの連続であるともいえます。
どのような親のもとに生まれるかだけではなく、どの時代のどの国に生まれるのか、性別は? どんな友人や異性に出会うのか、希望する職場に入ったとしてもどこに配属されるのか? など、自分の意志が及ばない場面はたくさんあるのです。
日本にキリスト教が伝播し、洗礼を受けた領主の命(めい)に従って信徒となった人たちは、やがて禁教令の発布によって厳しい弾圧の時代を迎えることになりました。
そんな中で自らが選ぶことができたのは、棄教するのか潜伏して信仰を続けるのか、さらに禁教令撤廃後は、カトリックに復帰するのかしないのか、代々家に伝わる独自の信仰を守るのか捨てるのか、だったのではないでしょうか。
今も決して多くはない選択肢の中から信じる道を選び、夢を叶えるために頑張っている多くの若者たち。
それは生まれてくる親や境遇は選べなくとも、人生をただ黙って運まかせにしたくないという想いがあるからだと思います
イタリアの政治思想家のマキャヴェリはこういっています。
「運命は我々の行動の半分を支配し、残りの半分を我々自身にゆだねている」と。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)