Vol.37
2015年3月16日 公開
1865年3月17日午後、男女、子どもをあわせた十数人が大浦天主堂の門の前に立っていました。天主堂の門は閉まっていたので、プティジャン神父は急いで門を開け聖所のほうに進みました。すると彼らも神父のあとをついてきたそうです。
神父が少し祈ったあとに、40歳か50歳くらいの女性が神父に近寄り、胸に手をあててこう言いました。「ここにおります私どもは、全部あなた様と同じ心でございます」と。
神父が「どこから来たのですか」ときくと、「私たちは浦上村の者で、浦上ではほとんどの人が私たちと同じ心を持っています」と言い、すぐに「サンタ・マリアの御像はどこ?」とたずねたそうです。
神父はこの人たちに取り囲まれながら、日本のキリシタンの子孫を目の前にしていることを神に感謝し、聖母の御像が安置してある祭壇に彼らを案内しました。
これが世界宗教史上の奇跡ともいわれる「信徒発見」の瞬間でした。浦上のキリシタンは、禁教令から250年あまりの潜伏時代を経て神父と出会い、命がけで信仰を表明したのです。
神父はこの日の出来事をフランス語で記しているのですが、その際、女性が言った「サンタ・マリアの御像はどこ?」を「Santa Maria gozo wa doko?」とローマ字でつづったそうです。このことからもプティジャン神父の驚きと感動が伝わってきます。
明日2015年3月17日は、「信徒発見」150周年。大浦天主堂では記念連続ミサが行われます。
参考文献/旅する長崎学4「キリシタン文化」(長崎文献社)
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)
フューレ神父とプティジャン神父の設計により1864年に建設された教会堂である。【登録資産グループ/大浦天主堂】