Vol.321
2020年9月21日 公開
もうとっくに祝わってもらう側にいるのに、自分が「おじいちゃん」だという感覚があまりありません。孫がいないせいかもしれません。
今日は敬老の日。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨とした日ですが、以前は「としよりの日」「老人の日」と呼ばれていたようです。かなりストレートな表現なので余計に老け込んでしまいそうですね。
高齢者の皆さんの共通のテーマといえば、のこりの人生をどのように生きるか、どのように締めくくるか、ということでしょうね。
せめて徳を積んでおけば、居心地の良い黄泉の国に行くことができるかもしれない。そう打算的に考える罰当たりは私くらいのものなのでしょう。
徳を積んだ人というと、キリスト教の信仰を通して人々の救済に奔走した外国人宣教師たちのことが思い浮かびます。
日本にキリスト教を伝えたザビエルをはじめ、日本初の病院をつくったアルメイダ、「日本史」を記したフロイス、歴史的な「信徒発見」の場面に立ち会ったプティジャンなど、多くの聖職者たちがこの国に素晴らしい足跡をのこしました。
しかし、彼らが生きたのは今よりも平均寿命が短かい時代。その多くは50代から60代でこの世を去ってしまいました。
そんななか、1879年に外海(そとめ)に赴任して以来、74歳でこの世を去るまで貧困に苦しむ人々の暮らしを支え続けてきたド・ロ神父の献身的な生き方は、文献を読み返すたびに頭が下がる想いがします。
出津(しつ)に教会堂を建て、人々を貧しさから救うため、私財を投じて取り組んだ社会福祉活動。その原動力は何だったのでしょうか。
情けは人のためならず––––酔えば口癖のようにそうつぶやいていた父。
人に親切にすれば、やがて良い報いとなって自分に戻ってくる。この言葉の本当の意味を教えてもらったのはいつ頃だったのでしょうか。
虫の声を聴きながら少しだけしんみりとする仲秋の夜・・・・・・やはり歳ですかね。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)