Vol.291
2020年2月24日 公開
1867年、長崎の浦上村で僧侶の立ち会いなしで葬儀が営まれたことをきっかけに、信徒とみなされた68人が捕らえられ、拷問によって21人が棄教するという事件が起きました。
しかし諸外国公使がこれを宗教弾圧だと抗議したため、幕府はいったん拷問を行わないことを約束するのですが、自葬による入牢者が続いたことから再び拷問が行われるようになりました。
捕らわれた信徒たちの多くは改宗して釈放されましたが、その後、改宗の取り消しを申し出る者が増えたため、明治政府は浦上キリシタンを西日本各地に分散して流罪にすることを決定。1868年に114人、1870年には3,280人が各藩に移送されました。
これが信徒発見後に起きた悲劇、「浦上四番崩れ」です。
この頃、明治政府は岩倉具視使節団を欧米諸国に派遣したのですが、キリシタン弾圧のニュースはすでに欧米に知られていたことから、使節団は訪問先で予想以上の厳しい抗議を受けたそうです。
こうして1873年2月24日、キリシタン禁制の高札が撤廃されたのです。
147年前の今日の出来事でした。
しかし、これで信仰の自由が無条件で認められるようになったわけではなく、あくまでも黙認されたというだけのこと。なんとも歯切れの悪い顛末ですが、この頃すでに政府が神道を国教にしていたことを考えると納得できますね。
流罪になった信徒たちは同年3月までに釈放され、4月から6月にかけて次々と帰村しました。しかし戻ってきた人々を待っていたのは家や財産のない貧しい生活でした。
外圧によって撤廃されたわが国のキリシタン弾圧。諸外国からの非難と抗議がなければ、いつまで弾圧は続いていたのでしょうか。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)