Vol.274
2019年10月21日 公開
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり
これは曹洞宗を開いた道元の和歌で、福井県にある曹洞宗永平寺で夜空を眺めながら詠んだといわれています。
秋の月が格別に美しいというのは、多くの皆さんが認めるところだと思いますが、煌々とした月あかりはどこか妖艶であり、ときにせつなさや哀しさを感じさせます。
もしかして見る人の様々な想いを鏡のように映し出しているのかもしれませんね。
月に限らず、あかりは古くから暮らしに欠かせないものとして重宝されてきました。
とくに災害で長期間の停電を余儀なくされた経験のある方々にとってパッと電灯がついた瞬間の喜びは言葉では言い表せないと思います。
一方で、あかりはそこに人がいることを知らせる目印となることから、その取り扱いに注意を払ってきた人たちがいました。というより、そんな時代があったのです。
ひとつは、日本でキリスト教が禁止されていた時代にひそかに信仰を続けていた潜伏キリシタンたち。
祈りの最中、いつ役人たちに踏み込まれるかわからない状況下でのあかりの管理は命をも左右する重要なことだったと思います。
もうひとつは第二次世界大戦中のこと。
夜になると灯火管制が敷かれ、各家庭ではあかりが外に漏れないように窓をふさいだり、電灯を黒布で覆ったりして空襲の標的にならないようにしたといいます。
居場所がわかって捕らえられたり、戦争で攻撃されたりするのは御免被りたいですが、日々受けているあかりの恩恵には感謝しなければいけませんね
10月21日は「あかりの日」。
1879年のこの日、エジソンが実用性の高い白熱電球を発明したことにちなんで制定されたそうです。
もちろんエジソンにも感謝ですね。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)