おらしょ こころ旅

Vol.264

過酷な船旅

2019年8月12日 公開

 

8月12日は太平洋横断記念日。1962年(昭和37年)、海洋冒険家の堀江謙一氏が小型ヨットで日本人初の太平洋単独横断に成功し、サンフランシスコに到着した日です。

堀江氏はこのとき23歳。家族にも告げず、パスポートも持たず、兵庫県西宮からアメリカに向けて出航したそうです。

当時はヨットによる出国が認められていなかったため、不法出国として取り扱われ、アメリカに着いても強制送還されるだろうと予想されていました。

しかし到着すると、サンフランシスコ市長が「コロンブスもパスポートは省略していた」という主旨のコメントを発表。さらに名誉市民として受け入れられるなど現地で大きな賞賛を浴びました。

孤独と闘いながら航行した3ヵ月間の旅は、帰国後に出版した著書『太平洋ひとりぼっち』のタイトルそのものだったのでしょうね。

時代はずっとさかのぼって大航海時代、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルはどのようにしてこの国にたどりついたのでしょうか。

その頃、世界での宣教を目的に活動していたイエズス会は、ザビエルら数名の会員をインド西海岸のゴアに派遣することを決め、彼らは1541年4月にリスボンを出発しました。

同年8月にアフリカのモザンビーク、翌年5月にはゴアに到着。インド各地などで布教活動を続けたあと、鹿児島出身のヤジロウと出会い、1549年4月、彼らとともにゴアを出発して日本に向かいました。

そして中国南部を経由して薩摩半島の坊津(ぼうのつ)に上陸、同年8月15日に現在の鹿児島市祇園之洲町に着いたといわれています。

太平洋をたったひとりで航行した堀江氏、見知らぬ国を転々としながら布教を続けたザビエル。

もちろんそんな情熱も覚悟もありませんが、ろくに泳げない上に船酔いをする人間にとってそれは異次元の出来事であり、ただただ尊敬の念を抱くばかりなのです。

(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)

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