Vol.21
2014年11月17日 公開
山のサンタ・マリア教会跡(長崎市立山)には長崎歴史文化博物館、サント・ドミンゴ教会跡(長崎市勝山町)には長崎市立桜町小学校、サン・フランシスコ教会跡(長崎市桜町)には長崎市役所別館、サン・アントニオ教会跡(長崎市魚の町)には長崎市公会堂、被昇天のサンタ・マリア教会跡(長崎市江戸町)には長崎県庁・・・。
この関係性は、幕府の禁教令によって破壊された教会と、その跡地に建っている現在の施設。こうやってみると公共の建物ばかりですね。なぜ、便利の良いまちなかの一等地に教会を建てることができたのでしょうか。それは、1580年、大村純忠が敵からの攻撃をかわすため、長崎や茂木を日本イエズス会に寄進したことに理由があるようです。
そして、日本イエズス会は長崎に本部を設置。そうなると、長崎は日本イエズス会のものですから、堂々と好きなところに教会を建てることができたわけですね。1600年以降も次々に完成していく教会堂。そんなまちの姿を人々はどんな想いで見ていたのでしょうか。
この頃の長崎については『伴天連記』という、キリスト教に批判的な書物にも「長崎は日本のローマなり」と記されていたそうですから、長崎の「ローマ化」は誰もが認めるところだったのでしょう。しかしそれは、教会堂がたくさん建てられたということだけではなく、人々の信仰心にあふれた暮らしぶりもまさに「ローマ」というにふさわしいものだったのかもしれません。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)