おらしょ こころ旅

Vol.17

石段に刻まれた二つの物語

2014年10月20日 公開

長崎地方法務局(長崎市万才町)のそばの大音寺坂にミゼリコルディア本部跡の石碑があります。ミゼリコルディアとは「慈悲」の意味。キリスト教が日本に伝来した時代、ポルトガルで盛んに行われていた慈善事業を実践するため、長崎では1583年に「ミゼリコルディアの組」が設立され、このあたりに本部が置かれました。

ミゼリコルディアの組は、創立2年目に会員が100人になり、1591年にはハンセン病病院、養老院、育児院、墓地などを経営。禁教令により教会が次々と破壊されるなか、組の教会や病院はその果たしてきた役割の大きさからしばらく壊されることはありませんでしたが、1620年についに取り壊され、創立50年で解散したそうです。

大音寺坂は、長崎版忠臣蔵とも呼ばれる「深堀騒動」の発端となった場所でもあります。1700年、佐賀藩深堀領主の家臣と、筆頭町年寄高木家の使用人らがここを通ったとき、些細なことで口論になりました。怒りがおさまらない高木家の使用人たちは、夕方、深堀屋敷を襲撃。深堀の武士たちは翌日未明に高木家に討ち入り、主人高木彦右衛門や家来などを殺害しました。

これにより深堀の武士たちは切腹や五島への流罪、高木家は財産没収となったそうです。深堀騒動は江戸に伝わり、全国でも話題となり、赤穂浪士の討ち入りの手本になったともいわれています。隣人愛にあふれた慈悲深い心と、憤怒に満ちた争いの心が交差した大音寺坂。石段には二つの相反する心の物語が息づいています。

(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)

おらしょ通信一覧
トップ