おらしょ こころ旅

Vol.126

あれもこれも幕末の長崎

2016年11月28日 公開

今日、11月28日は税関記念日。1872年、「運上所」という名前が「税関」に統一されたことを記念して、1952年に大蔵省(当時)が制定したそうです。

江戸時代、わが国唯一の海外貿易港だった長崎には、1698年、貿易の一切を管理する長崎会所が設けられました。

運上所は、安政の開国により、税関の事務、外国船からの税金徴収や荷改めを行うために設けられた機関で、当初は「湊会所」と呼ばれ、長崎会所の一部として設置されました。

1860年、第一次居留地造成工事に伴い、築町の俵物役所内に移転。1863年に「湊会所」から「運上所」へと名称を改め、1866年、長崎市新地町(現在の長崎みなとメディカルセンター 市民病院あたり)に庁舎を新築、移転しました。

前年の1865年2月19日、そこからほど近い南山手で大浦天主堂の落成式が盛大に行われ、同年3月17日には浦上のキリシタンがプティジャン神父に信仰を告白した「信徒発見」という世界宗教史上の奇跡が起きていました。

また、英国艦隊イカルス号の水兵二人が丸山花街の路上で何者かに殺害された1867年の「イカルス号事件」では、運上所でも裁判が行われ、坂本龍馬が裁判に立ち会ったといわれています。

あんなこともこんなこともあった幕末の長崎。めまぐるしく移り変わる激動の時代を人々はどんな想いで見つめていたのでしょうか。

(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)

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