Vol.270
2019年9月23日 公開
仕事場の近くにあった大きな立体駐車場が解体され、ずいぶん見晴らしがよくなりました。
跡地には新たに駐車場と商業施設を備えた建物ができるとのこと。それまでは開放的な空間を渡る風を感じながら新鮮な風景を楽しもうかな、なんて思っています。
子どもの頃は高いビルもまだ少なくて、ある程度遠くまで見渡せたので、目印となる建物を見つけると目的地までは意外と近かったような印象があります。ま、子ども心にそう思えただけかもしれませんけどね。
坂本龍馬が料亭で酒を飲み、そこから月を眺めながらぶらぶら歩いてどこそこまで行った、などという話を何かで読んだような覚えがありますが、幕末、明治時代ならなおさらだったでしょうね。
時代はさかのぼって1570年に開港が決まった長崎では、翌年にポルトガル船が入港し、6つの町が誕生するなど、キリスト教布教と南蛮貿易の拠点としてのまちづくりがはじまりました。
それ以降は教会や病院、福祉施設などが次々に建てられ、長崎のまちは「小ローマ」と呼ばれるほどになり、慶長年間(1596〜1615年)には10を超える教会があったようです。
あの教会のそばに〇〇がある、この教会の角をまがったところに〇〇があるといったように、人々は教会を目印に生活していたかもしれませんね。
8月末、「岬の教会」があった県庁跡地から江戸初期のキリシタン建築に使われた花十字紋瓦の破片が出土したというニュースが飛び込んできました。
岬の教会で使われていたものかどうかは不明とのことですが、県庁跡地でキリシタン関連の遺物が見つかるのは初めてとのこと。
「小ローマ」時代の歴史の解明や、跡地の利用にぜひ活かしてもらいたいですね。
(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)
平戸島の南東、佐世保港沖に位置する黒島にある教会堂である。【登録資産グループ/黒島の集落】
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
明暦3年(1657)603人の潜伏キリシタンが発覚した大事件「郡崩れ」に関係する。