- 富岡城は、関ヶ原の戦いの戦功により天草の領地を与えられた寺沢広高によって、1602(慶長7)年頃から天草支配の本拠として築かれた。
- その後、寺沢氏や富岡城番代によるキリシタン弾圧、天候不順や凶作の中でも続いた厳しい税の取り立てなどの要因から、1637(寛永14)年、島原・天草一揆がおこり、天草の一揆軍は富岡城を攻めるが落とせず、島原へ渡った。
- 一揆終結後は、山崎家治が天草領主となり富岡城を修築し、鈴木代官の時代を経て、戸田忠昌が、富岡城の維持修復にかかる天草領民の負担を軽減すべく本丸・二の丸を破却し、三の丸のみを残して天草を去った。
- その後、明治維新にいたるまで天草は天領となり、富岡城三の丸を代官所とし、天草支配の本拠として機能した。