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縣北

田平天主堂

・這座教會堂位於平戶島對岸的南田平村落,是1918年鐵川與助所設計、施工建造而成。
・因1622年義大利傳教士卡米勒.科斯坦佐殉教而聞名。
・1879年德.羅茨到外海地區上任,為了讓貧窮困苦的出津村落信徒自立,而讓部分村民移居開拓田平,因此田平也形成了信徒的村落。
・天主堂內部的平面為三廊式,中殿、側廊有各自獨立的屋頂,正面中央有一座八角型穹頂式屋頂的鐘塔。
・天花板為肋狀拱頂,主要結構的磚牆為英式砌法,此裝飾性的磚牆為設計上的特徵。
・在鐵川的工事記錄上有記載,此天主堂有舉行二天日本傳統的上棟儀式,第一天邀請男性,第二天邀請女性舉行,由神父執行儀式(日本一般是由神主負責)。

相關人名、用語(讀法和說明隨滑鼠游標一起顯示)

カミロ・コンスタンツォ

[かみろ・こんすたんつぉ] 1605年に来日したイエズス会宣教師。1614年にマカオへ追放されたが、1621年に密かに日本へ潜入して平戸一帯で宣教を行った。1622年に宇久島で捕縛され、田平の焼罪で殉教した。

三廊式

[さんろうしき] 教会建築では、入口から祭壇に向かっていくつかの廊が伸びている。廊のうち中央に設けられる最も天井が高い部分は「身廊」と呼ばれ、身廊の両脇に設けられる天井の低い廊が「側廊」と呼ばれる。身廊の両側にそれぞれ1つずつ側廊がある場合は「三廊式」、2つずつ側廊がある場合は「五廊式」。

殉教

[じゅんきょう] キリスト教の信仰や道徳を捨てるよりも、死を選んで神に命を捧げること。

信徒発見

[しんとはっけん] まだ禁教が明けていない1865年、長崎の外国人居留地に創建された大浦天主堂において、浦上の潜伏キリシタン数人が約250年ぶりに神父に信仰を告白したできごと。

身廊

[しんろう] 教会の入口から主祭壇に向かう中央通路部分を指す。

側廊

[そくろう] 教会建築において,身廊の両側に平行に走る部分。

鉄川与助

[てつかわよすけ] 上五島出身の棟梁、建築家。ド・ロ神父に教会建築の指導を受け、後に独自に数多くの教会堂の建築に携わった。

ド・ロ(マルク・マリー・ド・ロ)

[ど・ろ] パリ外国宣教会の宣教師。1868年に教区司祭として長崎に上陸。大浦天主堂にて石版による教理書の印刷などを行った後、1879年から外海の主任司祭として赴任、救助院の設立など様々な福祉活動を行った。建築への造詣も深く、出津教会堂と大野教会堂の建築を手がけた。

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