- 島原・天草一揆の際、湯島には島原と天草の切支丹教徒らが集まり、湯島の峯の盆地で軍議や決起の準備を行ったといわれている。この鍛冶水盤は、湯島の峯地区の畑の中から鉄くずや鏃とともに発見されたと伝わっている。
- その後、天草市五和町御領の鍛冶職人が湯島を訪れた際に鍛冶水盤を持ち帰り、御領の浄泉寺に寄進した。しかし、この鍛冶水盤は、島原・天草一揆に使用する武器を鍛冶が作った際に利用されたと言い伝えられており、昭和6年ごろ、湯島小学校の校長らが中心となり、浄泉寺から譲り受けた。その後、湯島村村長の計らいにより、湯島の諏訪神社に安置されている。