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长崎

野道公共墓地

这块梯田模样的墓地位于出津教堂的北面,基督教式样的扁平石板式墓碑是它的特色。巴黎外国传教团的马克·德·罗兹神父(Father Marc de Rotz, 1840-1914)长眠于此,这位法国神父自1879年起主持本地教区事务长达35年。
德·罗兹神父出身贵族家庭,个人可支配的财富也相当可观。他将私财直接用于造福贫穷的教区居民,包括创建了一所幼儿园、一个女性职业培训中心、一家面条加工厂和一座茶园。他对于提高人们生活水平的热情甚至惠及了身后事——他于1889年着手修建这处墓地,村民们免费出力共同建造。
由于山坡太陡,这片墓地足足花了10年才修造完成。德·罗兹本人于1914年被安葬在这里。他的坟墓原本位于较高的一层,为了方便人们造访才移到了下面。德·罗兹至今仍被视为本地英雄,甚至出现在了学校的教科书里。墓地内,早期的坟墓大都只是用简单的石堆作为标记,但近年来大多数都被替换成了平置式的石板墓碑。墓地最高层专供安葬孩童使用,修葺最少,最能够体现墓地当初的面貌。

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信徒発見

[しんとはっけん] まだ禁教が明けていない1865年、長崎の外国人居留地に創建された大浦天主堂において、浦上の潜伏キリシタン数人が約250年ぶりに神父に信仰を告白したできごと。

ド・ロ(マルク・マリー・ド・ロ)

[ど・ろ] パリ外国宣教会の宣教師。1868年に教区司祭として長崎に上陸。大浦天主堂にて石版による教理書の印刷などを行った後、1879年から外海の主任司祭として赴任、救助院の設立など様々な福祉活動を行った。建築への造詣も深く、出津教会堂と大野教会堂の建築を手がけた。

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