- 1597年、宣教師や信徒ら26人がキリスト教の信仰を理由に日本で初めて殉教した。
- 26人の中には、スペイン人やメキシコ人など外国人6人や10代の少年たち5人が含まれている。
- バチカンが認める公式巡礼地である。
- 世界中が日本二十六聖人の殉教を記憶しており、日本二十六聖人に捧げられる教会が各地にある。
- 建築家の今井兼次と、彫刻家の舟越保武が殉教地を後世に伝えるため、記念の教会堂とレリーフの建築を手がけた。
JR長崎駅前から徒歩(約10分)
【JR長崎駅前までのアクセス】
1597年、宣教師や信徒ら26人が長崎の西坂の丘で十字架に処せられた。
最年少は12才だった。
日本二十六聖人に捧げられた教会は世界各地にある。
日本で消えかけた歴史を世界は記憶していた。
列聖から100年目の1962年、殉教の丘は26人の生き方に触れる巡礼地となった。
多くの人が見学に訪れる日本二十六聖人殉教記念碑。実は碑の裏側にもこんな作品が!
日本二十六聖人にささげられた大浦天主堂。
それは潜伏キリシタンに向けられたメッセージでもあった。
長崎に教会堂が誕生したことを外国人たちは大いに喜んだ。
しかし、そこには日本人の姿はなかった。
緻密なドイツ製、色彩のイタリア製、それぞれの美しさを心静かに堪能したい。
岬に赤レンガ造りの本格的な教会堂が建設された。
ミサの時間はホラ貝が知らせる。
浜辺の教会の風景があった。
互いに「共存」を願うとき、乗り越えなければならない壁がある。
信仰の真理はそれを教えてくれる。
アルメイダの布教によりキリスト教が栄えた五島
しかし、その後は厳しい弾圧が行われた