おらしょ こころ旅

被登录的资产

长崎

旧罗典神学校

・由法国传教士多罗神父设计,建于1875年的用于培养祭司的一所学校。
・在属于构成资产之一的出津教堂中发现了推测可能是多罗神父手绘的原始图纸。
・整个建筑包括地下一层、地上三层,地下层是食堂,一层是自习室和校长室,二层是教室和礼拜堂,三层是寝室。
・每层的窗户都是透明玻璃搭配百叶窗,这在以前的传统日本建筑是没有的。
・在部分地方使用了长崎生产的与西洋建筑通常使用的砖块形状不同且厚度较薄的砖块。

相关人名及术语(将鼠标放在图标上可以显示读音及概要)

司祭

[しさい] 神父のこと。主任司祭とは、司教から小教区を託された司祭で、規模に応じて助任司祭が置かれることもある。

信徒発見

[しんとはっけん] まだ禁教が明けていない1865年、長崎の外国人居留地に創建された大浦天主堂において、浦上の潜伏キリシタン数人が約250年ぶりに神父に信仰を告白したできごと。

ド・ロ(マルク・マリー・ド・ロ)

[ど・ろ] パリ外国宣教会の宣教師。1868年に教区司祭として長崎に上陸。大浦天主堂にて石版による教理書の印刷などを行った後、1879年から外海の主任司祭として赴任、救助院の設立など様々な福祉活動を行った。建築への造詣も深く、出津教会堂と大野教会堂の建築を手がけた。

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  • 长崎

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