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登錄資產

縣北

舊野首教堂

・於1908年由鐵川與助設計、施工建造完成的磚造(英國壘石法)教堂。
・由日式瓦片修葺而成的大屋頂,覆蓋中殿、側廊所構成,屋頂的構造是使用日本小屋結構所建造。
・這座教堂是平面三廊式,內部立體部分只有拱廊的單層結構。
・舊野首教堂的肋狀拱頂天花板有數個拱肋起點,這是與其他教堂的相異之處,所有拱肋都是以拱廊柱頭的高度為基準點建造。
・這座教堂是由熟知日本傳統木造工法的日本木工,接受了歐洲傳教士的直接指導後,進而設計、施工完成的建築,展現了東西方的技術融合。

相關人名、用語(讀法和說明隨滑鼠游標一起顯示)

三廊式

[さんろうしき] 教会建築では、入口から祭壇に向かっていくつかの廊が伸びている。廊のうち中央に設けられる最も天井が高い部分は「身廊」と呼ばれ、身廊の両脇に設けられる天井の低い廊が「側廊」と呼ばれる。身廊の両側にそれぞれ1つずつ側廊がある場合は「三廊式」、2つずつ側廊がある場合は「五廊式」。

信徒発見

[しんとはっけん] まだ禁教が明けていない1865年、長崎の外国人居留地に創建された大浦天主堂において、浦上の潜伏キリシタン数人が約250年ぶりに神父に信仰を告白したできごと。

身廊

[しんろう] 教会の入口から主祭壇に向かう中央通路部分を指す。

側廊

[そくろう] 教会建築において,身廊の両側に平行に走る部分。

鉄川与助

[てつかわよすけ] 上五島出身の棟梁、建築家。ド・ロ神父に教会建築の指導を受け、後に独自に数多くの教会堂の建築に携わった。

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與此資產有關的專欄

  • 縣北

    海をのぞむお城のような教会堂

    無人の島の高台に建つ旧野首教会堂。
    鉄川与助が初めて手がけたといわれる教会堂は、細部の装飾まで美しい。

  • 縣北

    涙とともに最後のミサ

    苦労して野崎島に教会堂を建てた信徒たちであったが、
    過疎化による集団移住で、野首教会は閉鎖された。

  • 縣北

    野首教会堂を残した小値賀の心

    小値賀諸島は国選定の重要文化的景観。
    「昔のまま」は景観だけでなく、人のあたたかさや人情にも残っている。

  • 縣北

    島を支える移住者たち

    江戸時代、野崎島に多くのキリシタンが希望を持って移住した。
    今また多くの人たちが小値賀に移住している。

  • 五島列島

    教会堂建築の変遷を知る

    多くの教会堂建築を手がけた鉄川与助は、
    さまざまな課題を克服しながら新たな教会づくりに挑んでいった。

  • 縣北

    旧家に展示されたキリシタン資料

    江戸時代、壱岐から移住した小田家は鯨組を組織し、大いに栄えた。
    その屋敷は現在資料館となっている。

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