県央・西彼
本経寺・大村藩主大村家墓所 / ほんきょうじ・おおむらはんしゅおおむらけぼしょ
- 大村最大の日蓮宗寺院で、藩主大村家の菩提寺。
- 初代藩主大村喜前は、江戸時代初期にキリスト教が禁止されると、いち早くキリスト教を棄教し、日蓮宗に帰依した。
- その証として建立されたのがこの本経寺である。
- 建立年代については、郷村記に「慶長7年(1602)」と記されているが、この当時は領内のキリスト教は全盛であり、社寺再建が可能であったとは考えられないため、大村喜前が棄教した慶長10年(1605)以降に着手し、慶長13年(1608)頃に完成したと思われる。
- 本経寺は、大村領内の日蓮宗の本寺であり、領内に8つの末寺を持っていた。
- 日蓮宗信徒は全領民の約4割に当たる4万5,000人程おり、本経寺がその中心であった。
- 境内墓地には歴代藩主の墓碑群が林立している。
- 現在の本堂は安永7年(1778)の火災後、天明7年(1787)に再建されたもので、約200年を経た大村を代表する江戸時代の建造物である。
- 大村家墓所には、歴代藩主をはじめ、奥方、一族などの墓が建ち並び、その形も五輪塔、笠塔婆、石霊屋、宝塔、角塔など様々な形式が見られ、石造物としても大変貴重である。
- 藩主の墓には6mを越えるものも見られるが、これは大村家がキリシタンをやめ、仏教になったことをアピールするためともいわれる。