- 江戸時代、外海のキリシタンが集団移住で最初に住み着いたとされる福江島の奥浦地区にある教会堂。
- 赤レンガ造りゴシック様式の本格的な教会堂建築。
- 育てることのできない子どもたちを引き取り世話をした児童養護施設がつくられ、今でも開設された当初の精神が受け継がれている。
- 堂崎教会堂はキリシタン遺物などを展示して、かくれキリシタンや潜伏キリシタンの歴史を伝える資料館としても役割を果たしている。
福江港から車(約20分)、福江空港から車(約30分)
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※レンタカーやタクシーについて、詳しくは五島市ホームページをご覧ください。
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外海から海を渡って多くのキリシタンが奥浦地区にやってきた。
五島のキリシタン復活の始まりだった。
岬に赤レンガ造りの本格的な教会堂が建設された。
ミサの時間はホラ貝が知らせる。
浜辺の教会の風景があった。
貧しさゆえに育てることができない子どもたちを大事に育てた五島の女性たち。
その精神は今も受け継がれている。
アルメイダの布教によりキリスト教が栄えた五島
しかし、その後は厳しい弾圧が行われた
五島市奥浦地区は、貧しい子を救済した子部屋と、
その事業母体となった女部屋発祥の地でもある。
列福運動も起こっている五島出身の中村長八神父
ブラジルでは「生ける聖人」と呼ばれた移民者の恩人
昭和初期の堂崎天主堂の公式初聖体式が
報道写真家によって写真におさめられていた
ヨハネ五島は神父の身代わりとなって殉教
その遺骨は奇跡の再会後、五島に里帰りした
日本二十六聖人に捧げられた教会は世界各地にある。
日本で消えかけた歴史を世界は記憶していた。
多くの教会堂建築を手がけた鉄川与助は、
さまざまな課題を克服しながら新たな教会づくりに挑んでいった。
椛島の潜伏キリシタンは誰一人カトリックに復帰せず、
禁教時代の信仰を守り続けた