田平天主堂のレンガの継ぎ目には、石灰と赤土を混ぜたアマカワを用いた。その石灰を作るため、信者たちは各家庭で食べた貝の殻はもちろん、平戸方面の信者からも貝殻を集めて素焼きにし、それを砕いて石灰を作った。

その貝殻を焼いた跡が敷地内に残されているのだが、よく観察すると、周囲のレンガは一部焦げたようになっているものの、大量の貝を毎日24時間焼き続けた跡形がほとんど残っていない。

田平に最初に移住した今村丈吉いまむらじょうきちさんを曽祖父に持ち、父親が教会建設に携わったという今村国男くにおさんは、「父からは、貝を焼いていた場所は、もっと広くて、現在の墓地の中央付近、中田藤吉なかたとうきち神父のお墓がある辺りだと聞いています。墓地を造成するときに、焼き場の跡を移動して残したのでは?」と語る。真相はわからないが、信徒たちみんなが協力して教会建築に携わった歴史は確かなことで、「貝殻焼き場跡」は、先人たちの苦労があってこそ今、この教会があるという証の一つである。