1886年以降、黒島と出津しつ(外海)から移住して来た信徒が願ったのは「後世に残る、立派な教会堂の建設」であった。

その思いは、当時の中田神父や設計・施工に当たった鉄川与助てつかわよすけも同じで、大きさにもこだわったようである。それを物語るエピソードが、地元に残っている。

田平天主堂を建築中のある日、中田神父と鉄川は、信徒が山から切り出した木材を見て「これでは短かい」と告げ、もっと大きな木を切り出してくるようにと指示を出したという。そして、平戸島ひらどじまの山に木材の切り直しに行ったと伝えられている。また、最初に田平の山から切り出した短い方の木材は、外海に船で送って、黒崎教会堂に使われたと地元では語られている。

その後、1918年に田平天主堂が完成する。一方、黒崎教会堂が完成したのは1920年。果たして、田平から送られた木材は実際に使用されたのであろうか? 両地の不思議な縁を感じるエピソードである。