幕末の外海には大村藩領と佐賀藩領が混在し、佐賀藩領では取締りが比較的緩やかであった。幕末にプティジャン神父が出津を訪問すると、多くの潜伏キリシタンが信仰を公にした。しかし、未だ禁教が解かれていないことを心配した庄屋(キリシタン)は村役と協議し、神父の教えを積極的に学ぶ神父派の意気をそぐために、秘蔵のミカエルの絵と十五玄義の絵を盗み出した。盗まれた神父派は激怒し大騒動になった。この事件が原因で出津のキリシタンは二分され、片方は再び潜伏し、かくれキリシタンとなった。

現在、外海観光ボランティアガイドの会長を務める松川隆治さんは、黒崎地区のかくれキリシタンだ。「明治の動乱期にちょっとしたボタンのかけ違いでカトリックとかくれキリシタンに分かれてしまった。でも神様を信じる心は同じですよ」。かくれキリシタンの視点を交えながらの松川さんのガイドは、外海の歴史の複雑さを教えてくれる。