マルマン神父が赴任し、新しい天主堂が建てられることになると、それ以前にペルー神父によって作られた小聖堂は解体され、その資材でマルマン神父が住む司祭館を造ることになった。

マルマン神父は、司祭館ができるまでの期間は、わずか2間の小さな家で暮らしたといわれている。そこでは自らが使う説教壇の模様を帯鋸で丹念に彫るなど、主に製作活動に励んだという。説教壇が完成すると、洗礼台の装飾なども行った。手先が器用だったマルマン神父の人柄を印象づける話だ。

説教壇とは、神父がミサの中で信徒に話をするときに使う台で、広い堂内に声が響き渡るような構造になっている。マルマン神父の説教壇は、日本では珍しいらせん階段付きの凝った造り。しかも神父自らが装飾を施したという世界にひとつしかない説教壇である。現在は使われていないが、祭壇横に大切に保管されている。