明治に入り、潜伏キリシタンが次々にカトリックに復帰していくと、正しい教義を教え直すために教理本の出版が急がれた。そこでプティジャン神父が印刷技術に優れた人材をローマから呼び寄せたのが、のちに外海(そとめ)の司祭となるド・ロ神父であった。

1868年、ド・ロ神父はまだ禁教が続く日本に降り立ち、長崎に到着するとすぐに大浦天主堂の印刷所で教会暦(きょうかいごよみ)を印刷した。石版一枚刷りの教会暦(祝日表)である。潜伏キリシタンが伝えていた教会暦「バスチャンの日繰(ひぐ)り」と同じポルトガル語のキリシタン用語を多く用いるなど、キリシタンたちが戸惑わないような配慮がされている。

続いて発行したのが「聖教日課(せいきょうにっか)」という冊子。かつてイエズス会の神父が翻訳し、禁教下で信者が口伝えで長崎や外海のキリシタンが伝承してきたものを平易な文章でまとめたもので、これも教会暦と同じく、再来した神父の教えが禁教前に先祖が受けた教えと同じものだということを示す意味で作られたと考えられる。