江戸時代、天草の﨑津集落のキリシタンは、上、中、下の3つの組に分かれ、それぞれに指導者がいた。キリシタン暦に従って1年間の行事を行うが、その中で一番大きかったのは「霜月祭(今のクリスマス)」。この日だけは、夜中にこっそり牛肉を食べていたという話も伝わっている。また、子どもが生まれれば、水方(みずかた)は決められた場所で水をくみ、聖水(せいすい)として洗礼(せんれい)に使った。一番辛かったのは絵踏(えふみ)で、そのあとは足を丁寧に水で洗い、その水は飲用に使うなど、決して粗末にはしなかったそうだ。信心具は、貝殻の光る部分を十字架や聖母マリアに見立てたもの。貝殻をメダイや十字架の形にして天井裏などに隠したり、柱を削ってそこに隠したりしたという。

﨑津教会のすぐそばにある﨑津資料館「みなと屋」は、昭和11年に建てられた旅館を資料館として改修したもの。﨑津の歴史資料とともに、伝来期から禁教期のキリシタンの信心具を展示している。貝殻でつくられたメダイや十字架、オラショなども見ることができる。