外海の貧しい信徒たちのためにド・ロ神父は救助院などをつくったが、外海は耕地が狭く、農業は厳しかった。そこで、神父は広い畑が必要と考え、出津教会堂から約4キロ山手にある変岳へんだけ裏の大平の土地を購入し、開墾することにした。肥えた畑にするため、堆肥たいひづくりの指導から行ったという。近くには馬小屋や井戸、作業所もつくり、さらに開墾した畑ではそれまで外海になかったイチゴやトマトも栽培させ、小麦やジャガイモの良い品種をフランスから取り寄せたりした。ド・ロ神父の助手だった中村近蔵きんぞう氏の記録には、当時のド・ロ神父は自らスキやクワを手にして外海の女性たちに耕作技術や種まきの指導をしたと書かれている。またド・ロ神父は自らが発案した農具を地元の鍛冶かじ屋に作らせたほか、農民に新しい農具の使い方や農耕法をわかりやすく伝えるために長崎の絵師に絵を描かせている。ド・ロ神父の外海に対する思いが農業にもうかがえる。

開墾が完了した1901年に建てられたといわれる大平作業場は、煉瓦の壁が特徴的で、ヨーロッパの片田舎のような雰囲気が漂う。この煉瓦は、佐世保鎮守府ちんじゅふから入手した規格煉瓦といわれている。