天正遣欧少年使節てんしょうけんおうしょうねんしせつの4人に随行したメンバーは、ヴァリニャーノ神父やロドリゲス神父など8人。その中に活版印刷の習得を目的に随行した日本人3人がいた。その中の1人で活版印刷の祖として名を残しているのがコンスタンチノ・ドラードである。当時はまだ15歳の少年であった。

ドラードら3人はポルトガルのリスボンで約4ヶ月にわたり印刷技術を学んだ。そしてメスキータ神父はリスボンでグーテンベルク式活版印刷機を1台購入し、帰りの船に乗せた。

途中、ゴアに寄り、ヴァリニャーノ神父への感謝の思いとヨーロッパでの出来事に関する報告を原マルチノが演説。その際の原稿は、購入したばかりの印刷機でドラードが印刷した。これが日本人による初の活版印刷だといわれている。

ドラードは諫早生まれ、ポルトガル人と日本人の混血児で、子どもの頃に捨てられていたという説があるが詳細は不明。ポルトガル語が話せたため、13歳の時にヴァリニャーノ神父と出会ってからは通訳として行動を共にするようになったと伝えられている。あまり知られてはいないが、後世に残る大切な使命を果たした人物である。