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県北
洋上遙かからその姿を目にすることができる山は、
航路が伝えた様々な宗教の拠り所となってきた。
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県北
16世紀の集落がそのまま残る貴重なエリア。
戦国時代から変わらぬ環境と暮らし、そして祈り・・・。
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県北
棚田の中にたたずむ小高い山は、キリシタン信仰が守られてきた聖地。
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県北
キリシタンの殉教地であり、聖地でもある無人島。
信徒たちは聖水をくむために、荒波を越えて島へと渡る。
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五島列島
過疎化が進む奈留島。
祈りの灯をともし続ける信徒たちに出会った。
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五島列島
外海から海を渡って多くのキリシタンが奥浦地区にやってきた。
五島のキリシタン復活の始まりだった。
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島原・天草
戦国時代、領主たちは競ってポルトガル貿易を誘致しようとした。
そしてキリスト教が領内に広まった。
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島原・天草
日野江城跡から出土した中国などの陶磁器類。
それらは、有馬氏が交易で繁栄したことを示している。
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島原・天草
「己のごとく隣人を愛せよ」。
有名なキリスト教の精神は、有馬の地にも根を降ろしていた。
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島原・天草
当時の為政者たちに有馬氏はどう関わっていたのか。
日野江城跡から発見された金箔瓦が示唆してくれる。
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島原・天草
高い教養をそなえた日本の4少年がヨーロッパへ旅立った。
異文化交流は少年たちに感動を与えた。
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島原・天草
イエズス会は布教を担う若者の育成に力を入れた。
美術、音楽、日本語にラテン語。少年たちは次々と習得した。
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島原・天草
互いに「共存」を願うとき、乗り越えなければならない壁がある。
信仰の真理はそれを教えてくれる。
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島原・天草
織田、豊臣時代に流行した初期の石垣の石積技術が原城跡にみられる。
中世から近世へ、城郭建築の過渡期だった。
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島原・天草
島原・天草一揆では、多くのキリシタンが戦い、
老若男女約2万6千人の命が散っていった。
原城はその舞台である。
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島原・天草
代々島原半島を治めてきた有馬氏がこの地を去っていった。
新たに迎えられた領主は日本の運命を左右していく。
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島原・天草
原城跡からの出土物の中にはキリスト教関連のものが多い。
死を前に一揆軍は何を思ったのだろうか。
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島原・天草
死者の復活を恐れ、徹底的に破壊された原城。しかし一方で、宗教を超えて死を悼む人たちの姿もあった。
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島原・天草
キリストにならって、自ら尊い犠牲になることを受け入れたキリシタンたちがいた。
今、その意味を考える。
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島原・天草
幕府軍によって徹底的に破壊された原城。
この地で育つ「原城トマト」は、荒廃した土地からの復活のあかし。
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島原・天草
島原・天草一揆後、有馬の地には集団移住などで多くの人々が住み着いた。
今伝えたい思いに迫る。
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島原・天草
南島原市にある半円柱形のキリシタン墓碑。
碑文がローマ字で刻まれ、西暦と元号が併記されている。
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島原・天草
南島原市には国内で最多のキリシタン墓碑がある。
キリスト教の考えや精神がその埋葬方法から読み取れる。
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島原・天草
「潜伏」から「復活」まで、﨑津集落における信仰の歴史を物語る貴重な史料館。
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島原・天草
年末恒例の「幸木」は、天草で行われてきた正月飾り。
今富の幸木は、かくれキリシタンの信仰を伝えている。
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島原・天草
ふと見つけた小さなお社で、慈愛に満ちた石像に出会う。
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島原・天草
埋もれてしまった今富の歴史を、これからもっと調査していきたい。
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県北
信徒として洗礼を受けていた平戸の当主が、
領土の信徒を徹底的に弾圧した。
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県北
貿易と布教がセットに。
それがキリスト教信徒が増えた理由
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県北
変わっていった信仰ではなく、
布教当時のあり方をそのまま継承したのが本当の姿。
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県北
信頼していたのにだまされた…。
潜伏時代に起こった悲しい物語。
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県北
多くの儀式、多くの習わし。
家族の協力なくしては続けられない信仰。
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県北
今もなお大切に残る根獅子のかくれキリシタンスポットをガイドが解説。
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県北
江戸時代、壱岐から移住した小田家は鯨組を組織し、大いに栄えた。
その屋敷は現在資料館となっている。
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島原・天草
天草四郎が率いた一揆軍の象徴ともいえる陣中旗。
血痕や刀、槍の跡に戦いの歴史が垣間見える。
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長崎
キリシタンを祀る神社は日本でも珍しい。
枯松神社では年に一度、キリスト教と仏教、かくれキリシタンが、共に祈りを捧げる。
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県北
シスターが鳴らす黒島天主堂の鐘
透き通ったその音色の秘密とは・・・
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県北
キリシタンの姫が嫁いだ先は
キリスト教嫌いの松浦家。そのとき夫は・・・
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五島列島
昭和初期の堂崎天主堂の公式初聖体式が
報道写真家によって写真におさめられていた
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五島列島
キリシタンの復活期をたどる古い御水帳。大曾教会の一番古い御水帳は、外海で見ることができる。
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島原・天草
天正遣欧少年使節としてローマに渡り、大歓迎を受けて帰ってきた4人を待ち受けていたのは辛い現実であった
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島原・天草
天草の今富集落では明治になってからもカトリックに復帰せず、先祖から伝わる儀式を行った
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島原・天草
天正遣欧少年使節の4人のうち、ただ1人棄教した千々石ミゲルの墓が発見された!?
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長崎
外海の潜伏キリシタンが大切にしたというバスチャンの日繰り。一体、何が書かれているのか?
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島原・天草
禁教期、3つの組に分かれて信仰を守り通した﨑津集落。その時代の資料は﨑津資料館「みなと屋」で見ることができる
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島原・天草
16世紀末に有馬セミナリヨの画学生によって描かれたとされる銅版画「セビリアの聖母」復刻までのドラマ
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県北
春日集落のかくれキリシタン講で継承されていた「お札」の行事。当たり札は「おふくろ様」!?
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島原・天草
﨑津集落の風景や文化を語るとき、必ず登場する「カケ」と「トウヤ」って、何のこと?