長崎のキリシタンの歴史は、大村純忠の受洗によって大きく花開いた。450年以上も前に、日本の大名で初めて、先祖代々の宗教を棄て、異国の宗教へ改宗した決断の裏には何があったのだろうか。

1533年、島原半島を治める有馬晴純はるずみの次男として生まれた純忠は、4歳で大村純前すみさき(大村家第17代)の養子に迎えられ、17歳の若さで大村家18代当主となる。家臣の反発、実子である貴明をはじめとする周辺諸国からの攻撃など、純忠の人生は「戦」に明け暮れた。キリスト教に関心を示し、横瀬浦を開港したのは、貿易による富を得たかったのはもちろんであるが、一方でイエスの言葉に心のよりどころを感じていたのかもしれない。この地で、純忠とその家臣たちはトーレス神父からキリスト教の洗礼を受け、日本最初のキリシタン大名となる。フロイスの記録には「純忠は重臣たちの真ん中でひざまずき、他の人たちよりもいっそう謙虚のしるしを表して両手を上げた」とある。

純忠が鎧の上に羽織っていたという陣羽織には、地球のマークとイエス(JESUSとINRI)の文字と十字架が描かれていたという。そして戦いに挑むときは、トーレス神父から贈られた十字架の旗をなびかせたとも伝えられている。