フランス人のマルマン神父が五島に赴任した明治の初期、当時の五島の人々の暮らしは非常に貧しかった。新生児が生まれても育てることができず、間引きといってひそかに闇に葬られる不幸な出来事が起きていた。この悲惨な状況に心を痛めたマルマン神父は、不幸な子どもたちを引き取り、近隣の女性信徒に子どもたちの世話をさせた。そのうちの何人かは独身のまま子ども達に奉仕する道を選んだ。そして、日々祈りながら多くの子どもを育て上げ、社会に送り出したのである。

信仰の道に生涯を捧げた宣教師たちと、それに協力を惜しまない女性信徒たちによって始められた救済事業は、のちに「児童養護施設奥浦慈恵院」と「お告げのマリア修道会奥浦修道院」に発展。日本の福祉事業の先駆けとなった。

天主堂前にあるマルマン神父およびペルー神父と子どもたちの像は、神父の宣教と福祉活動の創始を記念するものである。