日本二十六聖人の一人、聖ヨハネ五島は、五島のキリシタンの家に生まれた。迫害が強まったため長崎★ながさき★に移り、12才の頃から長崎のセミナリヨや志岐(天草)のコレジヨで学んだ。

その後、スペイン人のモレホン神父に従って大阪おおさかに行き同宿していたが、秀吉ひでよしによる逮捕命令が出た際、自ら申し出て神父の身代わりとなった。1597年、長崎・西坂の丘で処刑されたときは19歳の若さであった。

西坂で殉教した26人の遺骨は宣教師によって集められ、そのほとんどがマカオに送られたが、そこで奇跡が起こった。国外追放となってマカオにわたったモレホン神父が、遺骨となってマカオの修道院に送られてきたヨハネ五島と再会を果たしたのだ。

1865年の信徒発見後、プティジャン神父がローマからの帰りにマニラに立ち寄り、その聖骨から分骨して大浦天主堂に持ち帰った。1977年からは堂崎天主堂に納められている。