ポルトガル生まれの宣教師ガスパル・ヴィレラが最初に建てたトードス・オス・サントス教会は、廃寺を増改築したものであったが、小さいながらも美しい教会だったという。

伴天連(バテレン)追放令が発布されると各地で教会が破壊され、迫害を受けた司祭たちはこの教会に身を寄せた。日本布教の第一線で活躍した修道士ロレンソは、ここで66年の生涯を閉じた。国外追放となった宣教師たちも風待ちの間をここで過ごし、その中には、元キリシタン大名の高山右近もいた。右近はマニラに流される前の数日間をこの教会で過ごし、霊操れいそう(イエズス会創立者であるイグナチウス・デ・ロヨラが発案した修行のひとつ)に励んだといわれている。修練所やセミナリヨ、コレジヨ、印刷所もここに移された。長崎で初めての記念すべき教会は、迫害から逃れるための避難所となった。

徳川幕府の禁教令後はこの教会も破壊され、跡地に禅宗の春徳寺しゅんとくじが建てられた。現在、教会の面影を残すものとしては、寺に向かって左奥の敷地にある「切支丹井戸きりしたんいど」とその横に置かれた板状の大理石、そして貯蔵庫跡である。大理石は、昭和に入って行われた改修工事の際に床下から出土したもの。教会のどの部分に使われたのかは不明だが、角が丸く加工されていることから祭壇に使われたものではないかといわれている。貯蔵庫跡は広さ2畳ほどの穴で深さは3mだったが、現在は安全と保存のため土で埋められている。禁教下に破壊されてもなお奇跡的に残った3つの遺構は、400年の時を超えて教会が存在したことを伝えている。

※井戸と大理石、貯蔵庫跡の見学は事前予約が必要。