明治時代から教会堂の建築を手がけてきた鉄川与助は、かみ五島丸尾まるお地区の出身である。彼は全国に50を超える教会堂を造ってきたが、生まれ育った上五島をはじめ、五島列島にも多くの教会堂を建てている。木造の冷水教会を手始めに堂崎教会、野首教会、青砂ヶ浦天主堂、楠原教会、大曾教会、江上天主堂、頭ヶ島天主堂……。材質も木造から煉瓦造りへと変わり、そして五島石との組み合わせへと発展する。中でもおもしろいのが通気口の違い。とても狭く仕上がっている青砂ヶ浦天主堂に対し、大曾教会堂や頭ヶ島天主堂の通気口は直系50cmほどの大きな穴になっている。それは、風通しが悪く床下の木材が腐れやすかったというそれまでの課題を克服するための対策だったという。また、リブ・ヴォールト(コウモリ)天井の中心につくられたボスの装飾も初期の実写的な模様から次第に簡素な幾何学的な模様になっている。このように鉄川与助の建築の進歩をこの島の教会堂を通して知ることができる。それもまた大きな魅力になっている。