天草の﨑津集落でガイドを務めている森田哲雄さん(昭和15年生まれ)は、幼い頃に地域のお年寄りや友人から聞いた話、心に残っている話を伝えている。その中で、今富集落のかくれキリシタンが昭和初期まで行っていたという葬式の話が興味深い。

「人が亡くなると、子どもの使いなどが水方(みずかた)の家に行き死亡を伝えていました。仏教では亡くなった人の頭を仏壇の方向に向けて寝かせますが、かくれキリシタンは仏壇に足を向けて寝かせ、オラショを唱えます。一定の儀式が一通り済むと、頭を仏壇の方に向かせ、お寺のお坊さんを呼びに行きます。お坊さんが来て枕経をあげるときには、仏壇の裏側やふすま越し、または納戸などで、水方がお経を封じ込むための「経消しの壺」を持ちオラショを唱えます。その後の葬式や埋葬(当時は土葬)は仏教のやり方で行いますが、みんなが帰ったあと、近親者だけで改めて穴を掘り棺桶の向きを変え、オラショを唱えて埋葬していたそうです」。

仏教徒に見せかけながら、ひそかにキリシタンの信仰守り続けるという禁教期の信仰の面影を感じる話である。