有馬キリシタン遺産記念館には、1637年、島原・天草一揆いっき原城はらじょうに立て籠もった一揆軍の兵士が、幕府方に放った矢文やぶみ(弓矢に付けて飛ばした手紙)が展示(複写)されている。当時、小豆島しょうどしまから一揆鎮圧のために徴用され御用船ごようせん年寄としよりとして采配をふるった壷井家つぼいけが持ち帰ったもの、あるいは水夫が持ち帰った(と言うことは、幕府には届かなかった!?)ものと考えられる。

矢文には、領主松倉重政・勝家まつくらしげまさ・かついえの二代わたる悪政に耐えきれず一揆を起こした農民の悲痛な叫びが切々と綴られ、後半にはこんな一節(現代語訳)もある。

「そもそも自国の宗教を捨て、異国の宗教を信じる者が出るのは、厳しい税金のせいです。キリシタンは、財産のない者を救い、貧しい人に施しをするそうです。これを聞いた住民が法を犯してもキリシタンになったのは無理ないことです。普通に考えれば、他の国の神をわざわざ信じるようなことはしないはずです。そのため、上様(徳川家光)のご意見であれば、永代キリシタンを棄てることに間違いはございません。」

筆者の名はないが、一揆軍の心情がうかがえる貴重な史料である。