江戸時代末期、大浦天主堂での「信徒発見」の一報を受けた黒島の潜伏キリシタンたちは喜びに沸き、水方(組織の指導者)をつとめていた出口親子ら20人が信徒代表として長崎に渡った。そして宣教師に「黒島には600人の信徒がいます」と報告したという。厳しい監視の中、まさに命がけの行動であった。その後、信徒の代表らは度々長崎に渡り、宣教師の教えを直接受けるようになる。また、宣教師たちも黒島を訪れるようになるが、その際は人目につかないよう変装して夜の海を渡ったという。

1872年のある日、出口大吉の家を仮の教会として黒島で初めてのミサが捧げられた。それから140年、黒島の信徒たちはそのときの喜びを今も忘れてはいない。「我々の先祖は勇気をもって信仰を告白し、いち早く復活を遂げた」。その誇りが何よりの宝であり、日々の信仰を支えている。