豊臣秀吉が死去した後、徳川家康が江戸幕府を開き、領主たちを治めることになる。有馬晴信は、幕臣との賄賂事件に端を発し易死となった。その後を継いだ息子の直純は、幕府の方針に従ってキリスト教を棄て、領地を日向延岡へ移すことになり、有馬の地(今の南島原市)は新たな領主として松倉重政を迎えることになった。
翌年、幕府は、大名が治める国の居城を一つとする「一国一城令」を発布。それによって原城も日野江城も廃城となった。
有馬氏が日向に移った後、原城の石垣のほとんどが島原城に運ばれたと言い伝えられていたが、平成4年に始まった発掘調査で、一揆当時の地図などと一致する石垣が出現した。この事実は、約3カ月にわたって一揆軍の応戦を可能にしたことを示している。