地元のガイドさんが堂崎天主堂を案内されるとき、「我がふるさとの誇りです」と説明されるのが、中村長八なかむらちょうはち神父の展示コーナーである。中村長八神父は、1865年に奥浦(浦頭うらがしら)で生まれ、15歳で家族を失うという悲しみを味わったが、フランス人のマルマン神父に認められて神学校に入学し司祭となった。

それから28年の歳月が経ち、人生の転機が訪れる。

日本からブラジルに移住した信徒たちが日本人神父を切望しているにも関わらず志願者がいないことを知った中村神父は、自らがブラジルに渡って宣教を行うことを決意したのである。58歳、決して若くない年齢だった。

それから亡くなるまでの17年間、広大なブラジルの地でポルトガル語も話せない中、貧しい身なりで雨の日も風の日も徒歩や馬で宣教を続けた中村神父。その献身的な姿が多くの人たちの心をうち、現地では「生ける聖人」と呼ばれ、75歳で亡くなったときの葬儀には現地の人たちが長い列を作った。

現在、バチカンにおいて中村長八神父の列福調査が進められている。