江戸時代、福江城下では、ポルトガル人修道士のアルメイダと日本人修道士のロレンソが布教活動を行い、18代領主・宇久純定が受洗したことで信者が増加し、一時は福江島や久賀島などを合わせ、信者の数は2,000人に及んだ。しかし、19代純堯が亡くなり、20代純玄の代となると、叔父である玄雅(受洗後背教)の影響でキリシタンへの強い迫害と弾圧を始めた。
この迫害を逃れるため、ジョアン五島(のちのヨハネ五島、日本二十六聖人の一人として殉教し、聖骨は堂崎教会堂に安置)の家族をはじめとする多くのキリシタンが長崎に逃れたといわれている。この時に避難した人たちによって長崎に「五島町」がつくられた。