御水帳とは、洗礼台帳のこと。キリシタン潜伏期に、洗礼を「御水」、洗礼を授ける人を「お水方」と言ったことに由来する。
大曾教会の最初の御水帳は1870(明治3)年のものである。御水帳には受洗者の両親(江戸時代に生きた)の名前も書かれてあり、その出身地を見ると「オオノ」や「マキノ」、「シツ」といった外海地区の集落名が多い。大曾教会の信徒の出生を知るだけではなく、信徒発見直後の歴史資料としても大変貴重なものである。
現在、この御水帳の複写が長崎市外海歴史民俗資料館に収蔵されている。
Article
Nagasaki The way of practicing faith
御水帳とは、洗礼台帳のこと。キリシタン潜伏期に、洗礼を「御水」、洗礼を授ける人を「お水方」と言ったことに由来する。
大曾教会の最初の御水帳は1870(明治3)年のものである。御水帳には受洗者の両親(江戸時代に生きた)の名前も書かれてあり、その出身地を見ると「オオノ」や「マキノ」、「シツ」といった外海地区の集落名が多い。大曾教会の信徒の出生を知るだけではなく、信徒発見直後の歴史資料としても大変貴重なものである。
現在、この御水帳の複写が長崎市外海歴史民俗資料館に収蔵されている。
文章:河村規子
Following the ban on Christianity in Japan, Mt. Yasumandake came to acquire deep significance for Hidden Christians in the surrounding area; one can see its form from far out on the ocean.
Kasuga village remains in much the same state as it was in the sixteenth century. Its natural environment has hardly changed since the Sengoku period, and the livelihoods of the village’s inhabitants also remain the same as they have been for centuries
“Maruoyama” is a hill where an early Japanese Christian graveyard was excavated. It sits amid terraced rice fields.
Nakae no shima is a tiny, uninhabited island where Christians were once martyred. It came to acquire profound significance for local Hidden Christians, who crossed raging waves in order to collect the water which seeps out from its rocks.
Although Naru island is gradually becoming depopulated, Christians who live there are still managing to keep the flame of faith alive
During the Edo period, many Hidden Christians from Sotome crossed the ocean and settled in the Okuura district of Fukue. This was the beginning of the resurrection of the Christian faith in Goto.
Many Christians were tortured and killed at Unzen, a place of numerous burning hot springs
An unusual museum which tells of the history of the Christian faith in Sakitsu
“Sawagi” is an old, end-of-year Shinto decoration, but in Imatomi village it is given a unique twist…
Inside a small shrine deep in the mountains, there is a stone statue…
"I want to untie the knots of this buried history..."
信徒として洗礼を受けていた平戸の当主が、
領土の信徒を徹底的に弾圧した。
貿易と布教がセットに。
それがキリスト教信徒が増えた理由
変わっていった信仰ではなく、
布教当時のあり方をそのまま継承したのが本当の姿。
信頼していたのにだまされた…。
潜伏時代に起こった悲しい物語。
多くの儀式、多くの習わし。
家族の協力なくしては続けられない信仰。
今もなお大切に残る根獅子のかくれキリシタンスポットをガイドが解説。
江戸時代、壱岐から移住した小田家は鯨組を組織し、大いに栄えた。
その屋敷は現在資料館となっている。
キリシタンを祀る神社は日本でも珍しい。
枯松神社では年に一度、キリスト教と仏教、かくれキリシタンが、共に祈りを捧げる。
シスターが鳴らす黒島天主堂の鐘
透き通ったその音色の秘密とは・・・
キリシタンの姫が嫁いだ先は
キリスト教嫌いの松浦家。そのとき夫は・・・
昭和初期の堂崎天主堂の公式初聖体式が
報道写真家によって写真におさめられていた
天草の今富集落では明治になってからもカトリックに復帰せず、先祖から伝わる儀式を行った
外海の潜伏キリシタンが大切にしたというバスチャンの日繰り。一体、何が書かれているのか?
禁教期、3つの組に分かれて信仰を守り通した﨑津集落。その時代の資料は﨑津資料館「みなと屋」で見ることができる
春日集落のかくれキリシタン講で継承されていた「お札」の行事。当たり札は「おふくろ様」!?
﨑津集落の風景や文化を語るとき、必ず登場する「カケ」と「トウヤ」って、何のこと?
Center of Nagasaki Prefecture/Western Nagasaki Prefecture
日本初のキリシタン大名として知られる大村純忠。戦に明け暮れる中で、キリスト教に心動かされていった!?