小高い丘に建つ浦上教会。ここは江戸時代、キリシタンが最も心を痛めたという絵踏みが行われていた旧庄屋屋敷跡である。1880年、新しい聖堂の建設場所を探していた浦上の信徒がどうしても手に入れたいと取得運動を起こし、1600円(当時米1俵2円64銭)で買い取ったものだ。

なぜ、絵踏みをした場所に教会を建てたかったのだろうか。それは、浦上の信徒たちにとってその場所に祈りの家を建てることが、神への償いだったからである。禁教政策の中、キリシタンはみな胸を痛めながら踏絵に足をのせた。親は子どもに「踏まなくてはいけないが、そっと踏むんだぞ、できるだけ真ん中は踏むなよ」と諭したという。そして家に帰るとコンチリサンのオラショ(懺悔ざんげの祈り)を唱え、泣きながら足を洗った。絵踏みが行われた場所に聖堂を建てるのは、迫害に耐えた先祖の歴史を忘れないためでもあるのだ。

旧庄屋跡を買い取って教会施設を建てるケースは他の地域にも見られ、ド・ロ神父が建てた出津救助院、ハルブ神父が建てた天草の﨑津さきつ教会堂などもそうである。