39歳で外海に赴任し、信徒のためにすべてを捧げたド・ロ神父は、高齢で病気がちになってからは大浦の司教館で静養生活を送ることになった。そして1914年、新しい司教館の建設に携わっている途中、建築現場から足を踏み外して落下したことがきっかけで病状が悪化し、司教館の完成を待たずに亡くなってしまった。

遺言により神父の遺体は、外海に自らが造成した「野道のみち共同墓地」に葬られることになった。神父の遺体が船で外海に運ばれてくる日、村人は総出で出迎えたという。葬儀は出津教会堂で行われ、棺は出津を迂回しながら墓地へ運ばれたが、参列する人の列が長すぎて棺が墓地に着いても行列はまだ教会まで続いていたという。外海赴任から35年間、1度もフランスに帰らず外海のためにすべてを捧げた人生であった。

さて、現在の野道共同墓地に足を運ぶと、墓地の入口の広場にりっぱなド・ロ神父の墓碑があるが、実は神父の亡骸は、神父自身がフランスから取り寄せて墓地の中央に設置した大十字架の近くの墓に埋葬されている。この墓は今でもそのまま残されているが、1990年、多くの人がド・ロ神父の墓を訪れ命日にはミサなども行われるため、共同墓地の入口にド・ロ神父の墓碑を新たに建立したのである。これには、石段を登らずにお墓参りができるようにという高齢者への配慮もあるようだ。