明治初期、外海に赴任したド・ロ神父は、救助院を建てた翌年、1884年大平地区の土地を2町歩(約6000坪)購入し開墾を始める。救助院の女性たちも総出で耕し、作付けから収穫までの農作業を神父の指導の元で行ったという。土地の開墾が落ち着くと、収穫したお茶や、採れた小麦粉で作ったそうめんやマカロニを販売。イチゴやジャガイモなど、当時は珍しい作物も栽培したそうだ。

しかし、時代は移り変わり、それらの土地も耕作放棄地となっていたが、外海の有志たちによって2010年から開墾が始まり、現在はソバや麦、ジャガイモ、茶、菜種、サツマイモなど、当時ド・ロ神父が救助院の女性たちと育てた作物を栽培している。

ボランティアグループ「うーでーら」のメンバーを中心に農作業を行うほか、茶摘みや芋掘りなどには農業体験の子どもたちも訪れ、賑やかな声が響き渡る。

ド・ロさま畑で採れた野菜やお茶は救助院隣の「ヴォスロール」で味わえる。