27代当主松浦久信は、キリシタン大名大村純忠すみただの娘と結婚。その子どもが28代当主松浦隆信(宗陽そうよう)である。隆信はキリスト教の洗礼を受けていたが、幕府の禁教令発布により自ら信仰を棄て、忠誠を誓うかのように徹底的にキリシタンを弾圧した。それ以来、平戸の信徒たちは、1873年の禁教の高札撤廃までの間、潜伏しながらキリスト教の信仰を守っていった。