長崎市外海歴史民俗資料館の2階には、禁教時代にキリシタンが密かに信仰の対象としたマリア観音やロザリオ、メダイのほか、キリシタン暦(日繰りひぐり)や祈りの言葉を書きつづったものなど、潜伏期にまつわるさまざまなものが展示されている。その中でも、外海ならではのものが「バスチャンの椿の一片」だ。地元の伝説では、次のように紹介されている。

禁教時代、日本人伝道士バスチャンが樫山かしやまで活動していたとき、赤岳あかだけのふもとの山中にあった1本の椿の木に指先で十字を記した。すると、その十字の形が木の表面にはっきりと残ったという。以来、キリシタンたちはその木を「霊樹」として大切にし、赤岳をキリシタンの聖地とした。浦上のキリシタンたちは自由に赤岳に行くことが難しかったため、岩屋山いわやさんに登り赤岳の方向に向かってオラショ(祈り)を唱えていた。そんなある日、厳しい取締りの中で、バスチャンの椿を役人が伐採するといううわさが流れる。信者たちは、役人に切られるよりは、自分たちで切ったほうが良いと考え、夜中に山へ入って涙ながらに切り倒した。大きな幹は海に沈め、残りの木片は持ち帰って小片にし、各家々に分配したと伝えられている。キリシタンたちはその木片を宝物とし、死者を葬るときにも使用した。